2013年11月5日火曜日

名越切通のまんだら堂


11月4日月曜日
昨日のビーチバレーのあと、セリーヌと専務妹家族、チャチャ、ますはが泊まった。
子供たちが多かったので、本日は山へ探索に出かける。





うちの丘の裏からすぐ名越えの切通に繋がる。

名越切通とは
1180年に源頼朝が居を構えた鎌倉は、南方を海に、それ以外の三方を丘陵に囲まれた要害の地であったため、陸路を鎌倉に入ろうとすると、その多くは細くて急な尾根越えの山道か、危険な波打際の崖下の道であった。
13世紀前半、執権北条氏の権勢が確立する頃になると、鎌倉も政治経済の拠点として発展しますが、都市の基盤整備の一環として、後に「鎌倉七口」などと呼ばれる切通路が開削された。
名越切通は、鎌倉と三浦半島とを結ぶ要路の一つ。周辺には、切通の防衛にも関係すると考えられる平場や切岸、やぐらや火葬跡など葬送に関する遺構も多く分布している。



そして、今月はまんだら堂が解放されている。
年に解放されている期間は僅かだ。この機会に連れて行った。


まんだら堂やぐら群は、一つひとつは2m四方程度と小規模で構造も単純なものが多いが、150穴以上の存在が確認されている有数のやぐら群で、これだけまとまったやぐらを良い状態で見ることのできる遺跡は鎌倉市内にも少なく、たいへん貴重。やぐらの中に並ぶ五輪塔は、主に火葬した骨を納めるなどして供養するために建てられたもの。葬られたのは、武士や僧侶が多かったと考えられが、経済力を蓄えた商工業関係者なども含まれていたでしょう。





その言い伝えの通り、中は非常に重たい空気が流れている気がする。




やはり日本は、長い歴史を持つ国であると感じる。




たいした雨にも遭わず、なんとか終われた。
満足した?