3月11日月曜日
311だ。
もう2年。
何が変わったのか。
あの日を振り返ってみた。
自分の古いブログから。
http://zenjapan.dtiblog.com/blog-date-20110329.html
2011年3月13日
福島第一原発が12日に水素爆発。
もうオレには「やるしかない」と思った。
オレにとっては戦争だったなあ。
でも、いまでもオレは同じくらいなことだと思ってる。
福島の原発はまだ終息などしてないからね。
ボランティアに行こうと思い頭を丸めた。
何年ぶりだったろうか。
風呂も入れないと思ったから。
1週間ボランティアに行くことにした。
まずは石巻だった。
取引先が多い仙台に行こうかと思ったが、早い時期は県外のボランティアは募集していなかった。
だから募集している石巻だった。
専修大学がボランティアセンターになった。
パタゴニア日本支社長の辻井さんにもここで会ったのを覚えている。
作業のほとんどは津波で浸水した家屋の清掃だった。
水を吸った畳の重さはいまでも忘れない。
清掃すると出るのは、ゴミ。
ゴミ、
ゴミ。
いったいこのゴミはどこに行くんだろう。
意外と年配も多かったボランティア。
尊敬だ。
掃除したこのお宅の奥さんが、
「生きるも地獄、死ぬのも地獄」
と行ってた言葉は、いまでも頭を離れない。
とにかく水がない。
重労働から帰って来ても、手洗いの水がこれ。
気持ちちょっと落ちる。
石巻の取引先のフリーサイドサーフのシンエツ君の家にも泊めてもらった。
シンエツ君に連れて行ってもらった日和山公園。
下からの図。
公園から見た景色には絶望した。
宿泊はすべて車中泊。
これは手慣れたものだ。
食事もすべて自炊。
高校卒業してから一人暮らしだから、あまり苦ではない。
あのときの仲間はいまはどうしているのだろう。
日和山に泊まっていたメディアのクルマ。
計画停電でも消えないメディアの報道。
現場とテレビの報道の格差。
こんな矛盾が数多くあり、このときからテレビを見ることがなくなった。
日和山公園のこの銅像。
「もっとシンプルに生きろ」と言われている気がした。
こうやって振り返ることができるのも日記のお陰。
日記の大切さもいま感じた。
この日の夕日を見て明日への希望を感じたのも印象的だ。
シンプルに生きる。
無理をしない。
常識にとらわれない。
あの日から変わった自分の生活。
少しずつ周りにも伝えて行ければと。
少しずつ。